【鬱経験①】だんだん精神がおかしくなる
こんばんは!結衣です。
皆さんはうつ病についてどこまでご存じでしょうか。
会社の同僚や、親族、友人にうつ病になってしまった人はいませんか?
私は数年前、自分自身が鬱病にかかっていました。
うつ病になったことのない人や、うつ病の状態を詳しく知らない人にも
うつ病患者の状態を知っていただけるように自身の経験をまとめました。
まず、最初に一つだけお伝えします。
私は鬱を乗り越えたので、今、明るく話題にできますが、鬱の状態や、原因、マシになるまでの期間等々はひとそれぞれです。
周りに鬱病の方がいても、「いつか治るんだから!」とか、「実はそんなにしんどくないんでしょ?」といったようなことは絶対に言わないでください。
そして自分が鬱かもしれない・鬱だという方は、「こんなヤツもいるんだなあ」だとか「意外とこんな感じでとマシになるのかもな…」という感じで、参考程度にごらんください。
~1章 身体の様子がおかしい~
私が鬱になったきっかけはおそらく仕事でした。
私は昔から少々精神的に弱いところがあり、高校生の時から、受験等々で過呼吸や過敏性腸症候群をよく起こしていました。
中学生くらいのころから、周りの友人には真面目・几帳面・些細なことを気にするタイプだとよく言われてました。
そして、なんやかんやとおなかが痛い日々を過ごしながら、高校時代、専門学校時代を乗り切りました。
そしていよいよ社会人になり、夢だった専門職に就くことができました。
就職当時は『夢をかなえたぞ!』という気持ちで頑張っていましたが…
数か月で理想と現実の違いにショックを受け退職し、運よく転職に成功した私は、2社目の会社に入社しました。
そして、ここからが本当の地獄の始まりです。
この2社目の会社が、パワハラブラック企業だったのです。
詳しいことは伏せますが、仕事によるストレス・パワハラで
だんだんと精神的に追い詰められてきた私は、身体と精神に異変が表れ始めます。
- 手足の先がしびれたようになり、冷たくなる
- 突然気持ち悪くなって動けなくなる
- 趣味に突然興味が湧かなくなる(本当にピタッとやめてしまいます)
- 朝起きれなくなってくる(眠いとかではなく体が本当に重い)
- すべてにおいて理解力が下がる
- 食欲がなくなる(食べると気持ち悪くなる)
- 蕁麻疹がでる
- 人の声に敏感になる(周りの人に噂されているような気がする)
- 異常な肌荒れ(特に顔)
- 胃が痛くなる(ストレス性の胃腸炎)
こういった状態が続きました。
まだこの頃の初期は、異常を感じつつも冷静な判断できたので、
当然ですが「仕事をやめたほうがいい」という決断ができました。
しかし、ここでパワハラ会社、そう簡単にはやめさせてくれません。
退職希望を伝えると、
「お前みたいな人間、ここ以外雇ってくれる企業なんてない」
「お前みたいな性格の人間がそだつなんて、親の顔が見てみたい」
なとど沢山罵倒され、そのあとに、
「最近頑張ってくれてるんだから辞めてほしくない。信用してるし、期待してる」
と言うのです。今思うと…洗脳?やだコワい……
こういった『罵倒→慰め』を日々繰り返されるようになり、だんだんと自分の冷静さが欠けていきました。
人と接するときにも、突然怒りっぽくなることがありました。
攻撃的になってしまって、カッとなるのを抑えられないんです。
でも夜になると、ベッドで眠ることも出来ず、何が悲しいかもわからず、一晩ずっと泣いてました。
感情がジェットコースターみたいで、自分では制御できないような感覚です。
まさに一言で表すと【情緒不安定】です。
この頃、よく泣くようになった私に、母がよく「何がそんなに悲しいの?」とよく聞いてきました。
「わからない」と答えてましたし、本当にわからなかったです。
そして家族に心配をかける自分も嫌で、理解してもらえない自分も嫌でした。
それでもめげず、泣きながら退職希望を伝えることを数度繰り返しましたが、取り合ってもらえず…
このころから、本当に、自分が自分じゃなくなるような、精神が壊れていくような感覚を感じながら仕事に向かっていました。
自分の体は動くけど、魂は抜けてしまっているような感じです。
かろうじての習慣で仕事にだけは向かっていました。
常に無表情で、家では何もしてなかったと思います。
そして何だかんだで2年半ほど我慢して勤めましたが、だんだんと死ぬことを考え始めました。
死んだほうが楽だと思い、とにかくどうやって死ぬか・いつ死ぬかをずっと考えてました。
電車のホームのすれすれのところでずっとフラフラしたり、無駄に高いビルを探したり…
何のために生きてるのかもわからず、とにかくずっと虚無でした。
なんとなく、自分がおかしくなってることには気づいていましたが、もう死ぬし何でもいいやと思っていました。
そうして3か月くらい過ごして、自殺を決行しました。
結局、死ぬことはできず、意識がない状態で発見され救急車で運ばれました。
私は数日後めざめて、生きてました。
あまり記憶はないですが、救急車で運ばれている間、私は意識が少しだけうっすらとあったようです。
泣きながら付き添っていた母に「大丈夫、私は大丈夫、大丈夫だよ」とずっと小声で言っていたそうです。呂律は回っていなかったそうですが。
自分自身にずっと、『大丈夫、まだ大丈夫』と言い聞かせて、おかしくなるまで我慢してしまい、
心配してくれた友人や家族にも「大丈夫?」ときかれて、「大丈夫だよ」と反射的に返していました。
私にとっては大丈夫というワードは今でも呪いの言葉みたいに感じられます。
②につづく
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