【鬱経験②】自殺未遂と入院
こんにちは!結衣です。
では前回の語らせて頂いた「鬱になるまでの話」
から引きつづき、「鬱になり自殺未遂をしてしまってからの話」をしていきます。
~2章 入院&鬱と診断~
※若干入院時の記憶はあやふやなところがあります
とにもかくにも生きていた私は、最初に見つけた母が救急車をよび、そのまま運ばれました。
まず大きな病院に運ばれてから、精神科の病棟があるところに移動しました。
同じように精神的に病んでしまった人が入院しているところに、そのまま私も入院したそうです。
自分の意識がはっきりするまで、恐らく2日くらいかかりました。
なんと恐ろしいことに、意識がハッキリしていなかったこの2日間、
自分では全く覚えていないのですが
突然暴れだしたり、よくわからないことをブツブツいっていたり、突然大声で泣き出したりしていたそうです…こわ…全然覚えてない…
たとえるならば悪魔に時々憑依されているかのような状態だったそうです…
自殺をしてしまったということもあり、おまけにベッドで暴れるし、入院を始めた頃は拘束具でベッドに固定されていたそうです。
(自殺して運ばれた人は、もう一度自殺しないようにするために拘束具でベッドに固定されることがあるそうです。)
この時、精神科の先生から私の家族に対して、「結衣さんは鬱病の状態です」とはっきり宣言されました。
そして、入院から2日くらいで、意識が少しづつ自分に戻ってくるような感じがしました。
最初は、プールの底の方にいるような感覚で、なんとなく光と人の気配は感じられて、遠くのほうでこもった人の話し声が聞こえてました。
自分の名前も思い出せて、何となくここが病院だというのも理解しました。
だんだんと、目を開いて、首を動かして周りの状況をみられるようになりました。
でも意識が自分に戻ってからも、あまり動けず、会話もしにくい状態でした。
自分が目覚めていることは認識していて、話かけられている内容も理解はできるのですが、タイムラグがあるような感じでスムーズには会話はできない状態です。
私が話に反応するようになり家族はワイワイと喜んでいたのですが、
私はまだ感情の起伏もないので、皆は何が嬉しいのかわからず、ボーっと虚空を見つめている…というような感じでした。
じわじわ時間とともに、自分が自殺したこと、運ばれて今入院していること、仕事が本当に辛かったことをゆっくり思い出してきました。
しばらく留守にしてた自分の精神が、時間とともに5%、10%、20%…と体にチャージされていき、
本来の自分の、性格通りの感情の起伏も戻ってきました。
不思議なことですが、意識がしっかりしてくると共に自分が生まれ変わったような気持ちになりました。
鬱の状態の時は、冷静な判断や、正常な判断が出来なくなっていたと思います。
何をしても自分が悪いような気がしますし、とにかく思考力がだんだん鈍くなるんです。
職場の上司から罵倒されることで、仕事を辞めてしまったら人生が終わる、という強迫観念を抱いてしまっていたような気がします。
何をしても不安、楽しくない、生きてる意味って?死んだほうがきっと良い。
そういう考えしか持てないんです。
でも、私は入院してしまって、大袈裟ですが臨死体験のようなものを経験して
戻ってきたとき、自分の人生で一番大事なものってなんだ?って改めてふと冷静に考えられたんです。
私の人生で一番大事なもの、それは仕事じゃない。
嫌なら強引にでもやめてしまえ!会社や他人への迷惑なんて知らない!
と突然、縛られていたような考えをやめることができました。
それまで私は、真面目に生きてきたほうだと思います。
人の目はとても気にするほうでした。人に良く見られたい。いい子でいたい。
そんな気持ちが強かったです。
でも死にたくなるほど辛いなら、頑張るのはやめようと思えたんです。
もう自由に生きさせてくれやー!!!と突然楽観的で元気な私が生まれました。笑
そこからは驚くほどのスピードで回復しました。
精神科の担当の先生に、「早く家に帰りたいです~」なんて呑気に言うようになり、
入院食でカレー(謎の甘さ)が出てきて地味にテンションが上がったり、
じゃがりこ食べたいな…とかしょうもないことを考える余裕も出てきました。
私の受け答えや、表情も普通になってきたころ、退院することができました。
入院していたのは一週間ぐらいだと思います。
精神科・心療内科には通院してくださいと言われましたが、家に帰ることができてすごく嬉しかったのを覚えています。
当然ですが、ここまでコトが大きくなった為、その問題の会社にはもう行くこともなく退職をすることができました。
仕事も辞めて、自宅で数日間、いろいろ考えました。
鬱って、精神的な病気なので、ちょっとした考えで、ドンと落ち込むこともあれば、
一気に復活することもあります。
私は、
死んでしまったらすべて無くなってしまう、未来のことも考えられなくなる。
仕事を辞めたあとの未来も不安だけど、生きてさえいたら、どうにかできる。
と思うようになり、楽観的になれたんです。
一番の原因だった仕事が取り除けたことも大きかったと思います。
退院してからも突然不安になったり、ぼーっとして動けないことはありましたが、
「死ななきゃいけない」という意識は、もうどこか遠くに行きました。
③につづく
【鬱経験①】だんだん精神がおかしくなる
こんばんは!結衣です。
皆さんはうつ病についてどこまでご存じでしょうか。
会社の同僚や、親族、友人にうつ病になってしまった人はいませんか?
私は数年前、自分自身が鬱病にかかっていました。
うつ病になったことのない人や、うつ病の状態を詳しく知らない人にも
うつ病患者の状態を知っていただけるように自身の経験をまとめました。
まず、最初に一つだけお伝えします。
私は鬱を乗り越えたので、今、明るく話題にできますが、鬱の状態や、原因、マシになるまでの期間等々はひとそれぞれです。
周りに鬱病の方がいても、「いつか治るんだから!」とか、「実はそんなにしんどくないんでしょ?」といったようなことは絶対に言わないでください。
そして自分が鬱かもしれない・鬱だという方は、「こんなヤツもいるんだなあ」だとか「意外とこんな感じでとマシになるのかもな…」という感じで、参考程度にごらんください。
~1章 身体の様子がおかしい~
私が鬱になったきっかけはおそらく仕事でした。
私は昔から少々精神的に弱いところがあり、高校生の時から、受験等々で過呼吸や過敏性腸症候群をよく起こしていました。
中学生くらいのころから、周りの友人には真面目・几帳面・些細なことを気にするタイプだとよく言われてました。
そして、なんやかんやとおなかが痛い日々を過ごしながら、高校時代、専門学校時代を乗り切りました。
そしていよいよ社会人になり、夢だった専門職に就くことができました。
就職当時は『夢をかなえたぞ!』という気持ちで頑張っていましたが…
数か月で理想と現実の違いにショックを受け退職し、運よく転職に成功した私は、2社目の会社に入社しました。
そして、ここからが本当の地獄の始まりです。
この2社目の会社が、パワハラブラック企業だったのです。
詳しいことは伏せますが、仕事によるストレス・パワハラで
だんだんと精神的に追い詰められてきた私は、身体と精神に異変が表れ始めます。
- 手足の先がしびれたようになり、冷たくなる
- 突然気持ち悪くなって動けなくなる
- 趣味に突然興味が湧かなくなる(本当にピタッとやめてしまいます)
- 朝起きれなくなってくる(眠いとかではなく体が本当に重い)
- すべてにおいて理解力が下がる
- 食欲がなくなる(食べると気持ち悪くなる)
- 蕁麻疹がでる
- 人の声に敏感になる(周りの人に噂されているような気がする)
- 異常な肌荒れ(特に顔)
- 胃が痛くなる(ストレス性の胃腸炎)
こういった状態が続きました。
まだこの頃の初期は、異常を感じつつも冷静な判断できたので、
当然ですが「仕事をやめたほうがいい」という決断ができました。
しかし、ここでパワハラ会社、そう簡単にはやめさせてくれません。
退職希望を伝えると、
「お前みたいな人間、ここ以外雇ってくれる企業なんてない」
「お前みたいな性格の人間がそだつなんて、親の顔が見てみたい」
なとど沢山罵倒され、そのあとに、
「最近頑張ってくれてるんだから辞めてほしくない。信用してるし、期待してる」
と言うのです。今思うと…洗脳?やだコワい……
こういった『罵倒→慰め』を日々繰り返されるようになり、だんだんと自分の冷静さが欠けていきました。
人と接するときにも、突然怒りっぽくなることがありました。
攻撃的になってしまって、カッとなるのを抑えられないんです。
でも夜になると、ベッドで眠ることも出来ず、何が悲しいかもわからず、一晩ずっと泣いてました。
感情がジェットコースターみたいで、自分では制御できないような感覚です。
まさに一言で表すと【情緒不安定】です。
この頃、よく泣くようになった私に、母がよく「何がそんなに悲しいの?」とよく聞いてきました。
「わからない」と答えてましたし、本当にわからなかったです。
そして家族に心配をかける自分も嫌で、理解してもらえない自分も嫌でした。
それでもめげず、泣きながら退職希望を伝えることを数度繰り返しましたが、取り合ってもらえず…
このころから、本当に、自分が自分じゃなくなるような、精神が壊れていくような感覚を感じながら仕事に向かっていました。
自分の体は動くけど、魂は抜けてしまっているような感じです。
かろうじての習慣で仕事にだけは向かっていました。
常に無表情で、家では何もしてなかったと思います。
そして何だかんだで2年半ほど我慢して勤めましたが、だんだんと死ぬことを考え始めました。
死んだほうが楽だと思い、とにかくどうやって死ぬか・いつ死ぬかをずっと考えてました。
電車のホームのすれすれのところでずっとフラフラしたり、無駄に高いビルを探したり…
何のために生きてるのかもわからず、とにかくずっと虚無でした。
なんとなく、自分がおかしくなってることには気づいていましたが、もう死ぬし何でもいいやと思っていました。
そうして3か月くらい過ごして、自殺を決行しました。
結局、死ぬことはできず、意識がない状態で発見され救急車で運ばれました。
私は数日後めざめて、生きてました。
あまり記憶はないですが、救急車で運ばれている間、私は意識が少しだけうっすらとあったようです。
泣きながら付き添っていた母に「大丈夫、私は大丈夫、大丈夫だよ」とずっと小声で言っていたそうです。呂律は回っていなかったそうですが。
自分自身にずっと、『大丈夫、まだ大丈夫』と言い聞かせて、おかしくなるまで我慢してしまい、
心配してくれた友人や家族にも「大丈夫?」ときかれて、「大丈夫だよ」と反射的に返していました。
私にとっては大丈夫というワードは今でも呪いの言葉みたいに感じられます。
②につづく
www.yuibeauty.net
自己紹介とブログについて
はじめまして!
私、アラサー女子の結衣と申します。
まず初めに、私にはブログを始めたきっかけがあります。
私は、私と同じつらい経験をしている人のために、情報を発信したいと思いました。
つらくて、しんどくて、でも藁にも縋る思いで情報をさがしている人にとって、少しでも、希望や元気の源になれたらと思い、始めました。
私は、アトピー性皮膚炎であり、アレルギー持ちであり、酒さ様皮膚炎です。
上記のことや、仕事での悩みのこともあり、鬱病になり、自殺未遂もしたこともあります。
でも、なんと2020年今現在、様々なことを乗り越え、めちゃくちゃ元気に過ごしております!(鬱も皮膚炎も完治というわけではありませんが)
「アトピー、酒さ様皮膚炎、アレルギーは体質なので治らない。」
「うつになると、人生まっくら…」
「皮膚の状態が悪すぎて、これからどうしたらいいのかわからない」
などなど、私が人生どん底の時、ネットで調べても良くないことばかりが書いてあって、本当につらかったです。
特に”酒さ様皮膚炎”については、治った!というようなポジティブなネット上にあまり記事はなく、
治ってはぶり返し…というような記事をたくさん見かけて、「私は一生こんな爛れた顔のままなんだ…」と、とっても暗い気持ちになっていました。
でも、いま私はほとんど普通の人と同じような見た目・生活をしています。
鬱や、アトピー、酒さ様皮膚炎、アレルギーって、本当に辛いし、しんどいです。
でも、私は乗り越えられました。
なので、私の経験や、今まで勉強したことを共有していきたいです。
人間にはそれぞれ、体質や性格がありますので、私の言っていることやおススメしているものがすべて正しいわけではありませんし、そう思ってはいません。
ですが、誰かの何かの参考に、または、すこしの元気の源になれば、私も幸せです。
これから、
- 鬱病
- アトピー性皮膚炎
- アレルギー
- 酒さ様皮膚炎
- 敏感肌のためのスキンケア・メイク
について、記事を書いていこうと思っています。
宜しければ、ぜひ読者になってみてくださいね。